神、共にいまして

76歳になって、人生の道のりを静かに振り返ることが増えました。

緑内障で目が不自由になり、自転車に乗ることをやめました。
それでも、週2回はジムに通い10km以上走っています。
仕事も続けています。
加えて、いくつかの団体に関わり、微力ながらも社会の一隅を照らす働きに身を置いています。

人生100歳の最終コーナー、私は坂道を穏やかに下っています。
急ぐことなく、時に立ち止まってもいい。
与えられた一日一日を丁寧に歩みたい。
そして、自分のためではなく、誰かのためにできることを積み重ねていきたい。

私の歩みを支えてきたのは、いくつかの祈りと言葉です。

「主よ、私はあなたを知り、またあなたの愛を知っています」と認めながらも、私は幾度となく言い訳をし、神の招きから逃げ、自己満足の中に安住してきたことでしょう。
しかし、その弱さを知ってなお、なおも招き続けてくださる神の愛があることを、私は信じて生きてきたように思えるのです。

富まず貧しからず、必要なものを与えられればよいとする慎ましさ。
自分の知恵に頼るのではなく、神の導きを信じて歩む心。
変えられないものを受け入れる落ち着きと、変えられるものに立ち向かう勇気、そしてそれを見分ける智恵。
それらは今も私の道しるべであり続けています。

人生のある時、砂浜に残された足跡の詩に出会いました。
神と共に歩んだ二人の足跡。
でも、最も苦しかった時、足跡が一つしかありません。
「なぜですか」と神に問う作者に、
「私はあなたを背負って歩いていたのだよ」と語りかける神の言葉。
その静かな慰めは、
私に「委ねて生きる」ことの大切さを教えてくれました。

気づかなかっただけで、
私は幾度も神に支えられ、神に守られてきたのです。

これからの道は、
「静かに、しかし確かに歩みながら、
誰かの重荷を少しでも軽くし、
誰かの心に小さな光を灯せる人生でありたい」と願っています。

英会話レッスン

いろんなオンライン英会話の中で、「KIMINI」を受講しています。
学研という会社が、フィリピン人を現地で採用して運営しています。
料金は月額6,380円。
1日1回25分のレッスンで、30日すべて受講しても、1日だけでも同じ料金です。
30日間続ければ、1回あたりわずか213円になります。

まずコースを選びます。
中学・高校で学んだ内容を復習しながら、「読む・聞く・書く・話す」をバランスよく学ぶコース、日常会話を楽しむコース、英検合格を目指すコース、ビジネス英会話コースなど、目的に応じた学習ができます。

次に、受講する日と時間を決めます。
たとえば「明日の午前8時」と指定します。

そして講師を選びます。
講師は約2,400名。
選んだ日時に待機しているのは200名ほどです。
最初は誰を選べばよいか分かりません。
そこで、「大人が得意」「講師歴1年以上」「評価が高い」などの条件を入れて検索します。
それでも何十人か出てきますので、最初は適当に選び、その講師のレッスンを受けます。

続けているうちに、気の合う講師が見つかります。
毎日その講師を指名するようになり、会話も自然に弾みます。
毎日顔を合わせていると、相手の家族のことなども分かってきて、もう友達のようです。

「昨日、家族ぐるみでバーベキューすると言ってたけど、楽しかった?」

そんなふうに、私は主にフリーレッスンを楽しんでいます。

ただ、彼らは賃金の安さに苦しんでいます。
学研が月6,380円でレッスンを提供できるのも、現地講師の安い労働力があるからこそ。

もし講師が日本人なら、この値段は到底実現できません。

多くのフィリピン人が、日本や台湾、韓国へ出稼ぎに行き、得た収入を母国に送金しています。こうしてフィリピン経済を支えているのです。

国内にも格差はありますが、国際的な経済格差はさらに深刻です。

経済が幸福そのものだとは思いませんが、格差の放置はどうにかならないものか――。

そんなことを講師たちと語り合いながら、英会話を楽しむ日々がもうすぐ3年になります。

Practice makes perfect!

友だち

今月は素敵な話を紹介します。


私が高校一年生だったある日のこと、同じクラスの男の子が歩いて学校から家へ帰って行くところを見かけた。
彼の名前はカイル。
彼は教科書を全部持って歩いているようだった。

私は心の中で思った。
“どうして金曜日なのに教科書を全部家に持って帰るんだろう?おかしな奴だ。”

私にはこの週末、抱えきれない程の計画があった。
(パーティーがあるし、土曜日の午後には友達とフットボールをすることになっているし…)。

だから、教科書を全部家に持って帰って、週末に勉強するなんて考えられなかった。
私は、肩をすくめて、歩き続けた。

歩いていると、突然、何人かの男の子たちが彼の方に向かって走っていくのが見えた。
彼らは、カイルが持っていた教科書を全部たたき落とし、足を引っかけて彼を倒した。
カイルのかけていた眼鏡は、10フィートも離れたところまで宙を飛んでいった。
彼は目を上げたが、その彼の目にとてつもない悲しみが広がっていた。

彼がなんだか可哀相になって、私は彼のもとに駆け寄った。
腹這いになって眼鏡を探している彼の目に涙が浮かんでいた。
私は見つけた眼鏡を彼に手渡して、言った。

“あいつらはバカな連中だから、放っておけばいいのさ。”

カイルは私を見ると、“やあ、ありがとう!!”と言った。
そう言った彼の顔には満面の笑顔が浮かんでいた。
その笑顔を見るだけで、彼が心から感謝していることは一目瞭然だった。
そんな笑顔だった。

私は彼の本を拾いながら、どこに住んでいるのと尋ねた。
私のすぐ近所に住んでいることが分かったので、どうして今まで一度も君に会わなかったんだろうと聞くと、彼はこれまでは私立の学校に行ってたんだと答えた。
確かに私はこれまで私立の学校に通っている子供たちと遊んだことはなかった。
家に帰るまで、私は彼の本を半分持ってあげた。
道々、彼と話してみて、彼がとっても「かっこいい奴」であることが分かった。

この土曜日、僕たちと一緒にフットボールをやらないか?と尋ねると彼は“うん!”と答えた。
その週末はずっと、私はカイルと過ごした。
彼のことを知れば知るほど、彼のことが好きになっていった。
私の友人達も同じようにカイルのことを気に入っているようだった。

月曜日の朝、たくさんの本を抱えたカイルに再び出会った。
私は彼を呼び止めてこう言った。

“毎日そんなにたくさんの本を抱えていたら、すっげえ筋肉ついちゃうぜ。”

彼は笑うと本を半分私に手渡した。
それからの4年間で、私とカイルは親友になった。

私達は4年生になると、大学への進学のことを考えるようになった。
カイルはジョージタウンへ、私はデュークへ行くことになった。
私達はたとえどんなに遠く離れることになっても、親友であり続けることを確信していた。
カイルは医者を目指し、私はフットボールの奨学生としてビジネスを学ぶことになっていた。

カイルは卒業生総代に選ばれたので、卒業式のためのスピーチを準備しなければいけなかった。
私は自分が選ばれなくて、実際ほっとしていた。

卒業式の日、私は改めてカイルを見つめた。
彼は本当に立派だった。
「高校生活の間にしっかりと自分自身を見つけた」という感じだった。

彼は実際、ハンサムだった。
私よりもたくさんデートをしてきたし、多くの女の子が彼のファンだった。
時々、本当に彼のことを羨ましく思うときがあった。
今日この瞬間も、彼のことを羨ましく思っていた。

カイルはスピーチのことが気になってあがっているようだったので、
私は彼の背中をピシャッと叩いて“大丈夫さ!君なら立派にできるさ!”と言った。

彼はまたあの時と同じように、本当に感謝しているような様子で私を見つめて、微笑むと“ありがとう”と言った。

彼は軽く咳払いすると、スピーチを始めた。

“卒業の時は、辛い時に自分達を助けてくれた人達に感謝する時でもあります。
あなたの両親、先生方、兄弟姉妹、またコーチであるかもしれません。
でもやっぱりあなた達を本当の意味で助けてくれたのは友達だと思います。
私はここでみなさんに、誰かの友達になるということがあなたができる最高の贈り物なんだということをお話ししてみたいと思います。
私の人生に本当に起こった出来事をみなさんにお話します。”

私達が最初に出会った日のことを彼が話している間、私は信じられない思いで彼をただ見つめるだけだった。

彼はあの週末、自殺しようとしていたのだった。

自分の母親が後から片づけなくてもいいように、彼は自分の持ち物を全部ロッカーから持ち出していたのだった。

彼は私の方を見つめ、少し微笑んだ。

“でも、私は救われたのです。
友達のお陰で、恐ろしいことをせずに済んだのです。”

このハンサムで、立派な青年が、自分の最も辛かった、最も弱かった時のことを語る姿を、聴衆は息を飲んで見つめていた。

カイルの両親が私の方を、彼と同じ、感謝に溢れた笑顔で見つめてくれていた。

ほんの小さな行いでも、人々の人生を変えうる力があるのです。
何の意図もない行為が、まわりの人に対して影響を持ちます。
この話と逆のケースも多いでしょう。
自分の意図とは関係なく、その行動が他人に大きな影響を及ぼします。

生命の不思議

昨日までお腹の中にいたのに

不思議です

誰も教えてないのに

ちゃんと息を吸ったり吐いたり

うんこもおしっこもする

目は目の位置に

耳は耳の位置

しかもふたつ

鼻や口はひとつ

足になるべき細胞は足になり

手は手

からだの中は見えないけど

内臓はそれぞれ所定の位置に配置され

与えられた仕事をしている

みんな遺伝子に書かれている

不思議です

人間の成せる業とは思えない

「あっ」「う~ん」

ちょっとした声に

「何や」「どうした・・・」

今だけかもしれないけど

キミの動きにみんなが注目している

大人たちの声のトーンも優しい

遺伝子の働きは解明されつつあると聞く

でも誰が遺伝子を書いたかは分からない

生命の基の基は・・・

Something Great の存在は疑いようがありません

『はだしのゲン』の英訳

『はだしのゲン』は作者、中沢啓治自身の原爆被爆体験を基にした内容です。

広島への原爆投下により、ゲンの家族は父、姉、弟が圧死。残された母とゲンが敗戦後の焼け野原の中で生き抜いていく姿が描かれています。

主人公のゲンは困難にめげません。

いつも希望を捨てません。

奇跡のドラマです。

NHKの番組「新プロジェクトX~アメリカに渡った漫画~」を見ました。

この番組で『はだしのゲン』の存在を知りました。

番組の冒頭、大嶋賢洋という方が紹介されました。

彼は1971年、バックパッカーとしてアメリカに渡ります。

当時のアメリカはベトナム反戦運動が盛り上がっていました。

彼はヒッピー革命ともいわれた9カ月にわたる「平和行進」に参加しました。

非暴力の反戦平和デモです。

大嶋氏はベトナム戦争に反対し収監された経験を持つジム・ペッゴ氏に偶然出会います。

「キミがこの『はだしのゲン』を英語に訳すんだ」

ジムは大嶋に言いました。

一人ではできない。

大嶋は仲間を集め無償の素人翻訳集団「Project Gen」を立ち上げます。

大学生を中心とした市民ボランティア集団。

彼らは『はだしのゲン』を平和のメッセージとして世界に届ける大きなムーブメントを生み出しました。

翻訳作業は困難でした。

日本語独特の言い回しの英語表現。

登場人物の感情表現。

日本人とアメリカ人の表現の違い。

漫画ゆえの短い表現でどう伝えるか。

何度も英訳を見直しました。

当時はパソコンはなく手書き。

完成まで多くの時間を要しました。

1978年、第1巻の英訳が完成。ニューヨークの平和団体へ1,000部を送付。

2009年、英語版全10巻を完成。

現在25以上の言語に訳され、世界中の学校や図書館で「戦争を知るための教材」として読まれています。

驚くべき市民活動です。

彼らの働きには「大いなるもの」の働きと共に、「ゲンの声を世界に届けたい」という作者の想いがあったからだと思います。

ジムは言います。

「この漫画は罪悪感を抱かせるものではない。主人公ゲンはどんな状況でも生きる術を探している」

視覚障がい者の夢

Oさんは海外赴任中に交通事故にあい両目を失明した。

当時を振り返り彼は言う、

「仕事はどうなるんだ」

「会社を辞めなくてはいけないのか」

「妻や子供をどうやって養って行けばいいのか」

そんな時、音声ソフトの入ったパソコンと出会った。

それは希望の光だった。

自宅から会社まで徒歩と電車で通勤。

仕事をせず帰宅の毎日。

パソコンのキーボードをブラインドタッチが出来るように猛練習。

メール、ワード、エクセルが出来るようになった。

会社に対して、音声パソコンを利用すればこんなことが出来るとプレゼン。

復職への道が開けた。

しかし、復職後の彼に仕事はなかった。

仕事をせずに一日を過ごし給料をもらう。

こんなにつらいことはなかった。

彼は人脈やITの知識を駆使し、グローバルな経済情報を社内に発信するようになった。

そして、社内向けのメールマガジンを配信する業務を確立。

多くの同僚に喜ばれている。

彼の存在は周りの健常者に影響を与えだした。

街で白杖を持つ人を見かけたら「何かお手伝いできることはないですか?」と声を掛けるようになったと言う。

彼もまた一人では生きて行けないことを知った。

さりげない手助けに、心ある一言に、人の「優しさ」を知った。

そこには新たな「心の輪」が生まれていた。

「Oさん、目が見えなくなって、何か良かったことってありますか?」

私は聞いた。

「ありますよ。視覚障がい者は心のきれいな人が多い。典型的な会社人間だった私には絶対に出来なかった利害関係のない一生ものの友人がたくさんできた。この人達は私の一生の宝物です。」

彼は視覚障がい者との付き合いの中で、彼らの厳しい現状を知った。

視力が衰えるにつれて仕事を続けられなくなりやむなく退職する仲間がいることだった。

悩んだ末行きついた結論は、彼自身が健常者の中で働き続けることだった。

依頼された講演は引き受けた。

マスコミの取材にも応じた。

一般企業で働く視覚障がい者の自分を見てもらうようにした。

「私の姿を見て、社会の意識、企業の意識が少しでも変ることを願っています。」

彼は清々しく語ってくれました。

世界一貧しい大統領からのメッセージ

2025年5月13日に死去されたウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が語った伝説的なスピーチです。


マーケット経済、資本主義に毒された私たちが、無限の消費と発展を求める社会を作ってきました。

人類が作ったこのシステムを我々はコントロールしきれず、逆に、我々がこの消費社会にコントロールされています。

私たちは幸せになるために生まれてきたのです。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、

そして必要最低限の物を持つこと。

発展はこれらをもたらすべきです。


私たちの生活は、大量生産・大量消費の社会経済システムを確立して便利で快適になりました。

また近年の情報通信技術によるグローバル化は、世界を目覚ましく発展させました。

しかし、ムヒカ氏が言うように、こうした発展はかならずしも幸福や豊かさにつながっているとはいえません。

大量生産・大量消費の社会経済システムは、一方で大量廃棄社会を作り出しました。

ムヒカ氏は「本当の幸せとは何か」と問いかけます。

日本は第二次世界大戦後、貧困を乗り越え高度成長を成し遂げ、経済的、物質的に豊かになりました。

しかし、日本人は「幸せ」を実感できていません。

残酷な競争で成り立つ消費主義社会の中で、多くの人は疲れ切っています。

ムヒカ氏は言います。


人生で最も重要なことは勝つ事ではなく歩み続けることです。

世界がなぜ私に注目するのですか。

質素な暮らし、簡素な家、古い車に乗っているからですか。

それが驚きだというなら、この世界はおかしい。

なぜなら、それは本来、普通のことだからです。

私は貧乏ではありません。質素なだけです。

貧しい人というのは、ものを持っていない人のことではありません。

際限なくものを欲しがり永遠に満たされない人のことをいうのです。


ムヒカ氏の足跡を読むと心が洗われます。

「しかし」です。

経済的、物質的な豊かさを求めず、足るを知る質素な生活を求めることは難しいことです。

Walk Beside Me And Be My Friend

Walk Beside Me and be My Friend

立教大学入学式で総長が紹介した読売新聞の「窓」というコラムです。
大谷昭宏さん(ジャーナリスト)が書かれたものです。


女子高生のA子さんは足が悪くて普通に歩けません。
そんな彼女が水泳大会のクラス対抗リレーに選ばれます。
男女2人ずつ4人の選手を出して、一人が25m泳いで競争します。

クラスのいじめっ子が、「A子は3年間体育祭にも水泳大会にも出ていない。3年最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃない」と意地の悪いことを言ったからです。

A子さんは、お母さんに泣いて相談しました。
ところが、いつもはやさしいお母さんが、この日ばかりは違いました。

「お前は来年就職するんだろ。会社でお前ができない仕事を言われたら、お母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの?たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、1回くらい言い返してきたらどうなの」とものすごく怒ります。

A子さんは泣きながら、25メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向って祈っていたのです。

水泳大会の日、水中を歩く泳げないA子さん。
まわりから、ワァワァと奇声や笑い声が聞こえてきます。
彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時です。
一人の男性が背広を着たままプールに飛び込みA子さんの横を一緒に歩き始めました。

それは、この高校の校長先生でした。

「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」
一瞬にして、奇声や笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援しはじめました。

長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わったとき、友達も先生も、そして、いじめていた子たちもみんな泣いていました。

がんがつなぐ足し算の縁

がんがつなぐ足し算の縁

「いのちのセミナー」(JR西日本あんしん財団主催)『足し算で生きる』に行った。

ステージ4の悪性リンパ腫を克服したフリーアナウンサー笠井信輔さんの講演。

笠井さんの体験記『がんがつなぐ足し算の縁』を買って帰った。

笠井さんからのアドバイス

・がんを告知されたら、告知された病院に遠慮することなくセカンドオピニオンを求める。そして全国各地にある「がんの相談窓口」で何でも相談する。

・ネットの沼にはまらない。ネット情報には大きな落とし穴がある。ネットでがん情報を調べるならビジネスにつながっていないサイトがいい。例えば、「オンコロ」「キャンサーネットジャパン」「がん情報サービス」など。

・一概にがんといっても多くの種類がある。自分のがんのタイプについて一番わかっているのは主治医と医療チーム。その指示と判断を信じるのが一番。

・治療は標準治療でいい。先進医療や自由診療は効果的な場合もあるが、安全性の評価が定まっていない。健康被害が起きる可能性あり。ごく一部の人にしか効かないかもしれない。

標準治療は、治療法の「キング・オブ・キングス」

高額療養費制度

年収370万~770万の人が1カ月の治療費を100万支払った場合、窓口での支払いは30万になる。

しかし、高額療養費制度で、自己負担は9万以下。

21万が返金される。

30万の支払いがむずかしい場合、事前に健康保険組合や公的医療保険に「限度額定期用認定」を申請すればいい。

ただし標準治療が対象。

自由診療、先進医療は対象外。

【笠井流QOLの上げ方10か条】

1.好きなものを好きなだけ食べる

栄養のバランスは健康な人がやればいい。

2. 脱毛した時は、帽子でおしゃれ

3. 眉はぬける前に描く練習

4. リハビリを受けよう

5. 病室に無料WiFiを

6. がん保険に入っているか?

7. 看護師さんの名前を覚えよう

8. 痛みを我慢しない

9. がん相談支援センターを活用しよう

10.年中行事をしっかりやろう

教える者から忍ぶ者へ

教える者から忍ぶ者へ

歳を重ねて人から相談されることがあります。

「牧口さん、どう思いますか」
「牧口さんならどうしますか」

私は、いつも自分だったら・・・って考えます。
なので、聞かれたら、「私はこう思う」「私だったらこうする」と伝えます。

でも、話しているうちに自分の思いに固執している自分に気づくことがあります。
私の思いが相手に届いて、「ありがとうございました」と感謝されたりすると、相手にとってよかったとしても、自分が満足していることに気づくことがあります。

藤木正三先生は私のような人間に対して警鐘をならされています。
『福音はとどいていますか』(ヨルダン社、藤木正三・工藤信夫著)の中に次のような断想があります。

間違っておればそれを教えてあげるのが親切ですが、その場合相手の間違いに苛立ち、自分との違いに耐えられず、自分の考えに相手を従わせて満足しようとする心に走り易いものです。

しかし、教えることが本当に相手の為なら、そこ満足するのは相手であって自分であってはならない筈ですから、自分の満足を求めるような心がいささかでもあるなら、それはお節介だと自戒しましょう。お互い間違いながら生きているのです。いちいち間違いを取り上げて教えるよりは、それを忍ぶ者となるように自分をこそ教えたいものです。

『ガーン!』

しかしです。
世の中には、自分が与えたアドバイスや援助で人が立ち直ったことを自慢しまくっても、嫌味にならない人がいます。

表面上は全く謙虚さがない。自己肯定感100%。
自己満足感も100%だと感じる。
でも憎めない。彼のまわりは笑いが満ちている。

自分の考えを人に押しつけないようにはしたい。
アドバイスが本当に相手のためなら、
満足するのは相手だということを自覚していたい。

しかし、感謝されたら素直に喜んでもいたい。