1947年4月13日、亡父牧口五明は損害保険の個人代理店を開業しました。敗戦後2年も経っていません。
父は戦中、九州小倉の軍需工場に単身勤務していました。身体が弱かったので兵役は免れたようです。
「マッカーサー回顧録」によれば、長崎に落とされた原爆は、実は北九州に投下する予定だったとのこと。あいにく天候が悪く、北九州の予定が長崎になったようです。予定通り北九州に原爆が落とされていたら、私は生まれていません。
戦前、父は後藤静香先生の教えを関西で広めていました。生計を立てるためもあって、本屋もしていました。扱っていた本は後藤静香先生の著書、キリスト教関係の本、一燈園の西田天香先生の本など限られていました。
大阪にあった本屋は戦争で焼けてしまったので、父は保険屋をはじめました。
本屋時代も何とか本を売ろうとすることはなく、良書普及に努めていました。保険屋になっても同じで、保険本来の趣旨「一人は万人のために、万人は一人のために」という考え方を広めようとしていました。自分が災害にあった時のために「保険」は必要ですが、他人が災害にあった時のために、一人一人が協力(拠出)するのだという考えを説いていました。
また、お客さまに会う時に、その人にあった書物を紹介したり、小冊子を差し上げたり、キリスト教の話をしたりしていました。保険販売というイメージは全くありませんでした。
保険をたくさん売って、いっぱい儲けてということはありませんでしたが、「同じ保険を買うなら牧口さんから」というお客さまの支えで何とか生活できていました。
私が父の仕事に携わったのは1975年からです。
自分の給料は自分で稼がなあかん。目標を立てて行動に移しました。そんな私を父はたしなめました。
「自分の都合で売上目標を立てるものではない。すべては神さまに委ねなさい。神さまは必要なときに、必要なものを、必要なだけ与えてくださる。」
父が言いたかったことを理解するのにかなりの時間を要しました。
2018年、社長を長男に譲りました。創業75年。よくぞ潰れず、ここまできたものだというのが素直な感想です。
本当にみなさまのお陰です。ありがとうございました。