神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。
「聖フランシスコの平和を願う祈り」より
憎しみのあるところ、愛を
いさかいあるところに、赦しを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、よろこびを
闇のあるところに、光を
神よ、わたしに
慰められることよりも、慰めることを
理解されることよりも、理解することを
愛されることよりも、愛することを望ませてください。
「深い信仰で抵抗することはできます」
ガサ地区で逃げ惑う一般市民の言葉です。
親が爆撃で死亡。
家も学校も破壊された子どもたち。
しかし、ガザにはストリートチルドレンは存在しません。
親兄弟を失っても、祖父母など親戚の人が子どもを引き取り、育てていくのが当たり前になっています。
今日の水、食料さえ事欠くガサ地区。
自分一人生きていくのもままならない。
それでも新しい家族として生きていく。
食事を分け合い、爆撃された建物の中で遊ぶ子どもたちの笑顔。
今の日本が見習うべき「生きる力」を感じます。
冒頭に記した「平和を願う祈り」を自分のこととして読み直しました。
憎しみの渦中にある時、憎む対象を、愛をもって赦すことができるだろうか。
誤りに気付いた時、素直に誤りを認め、「ごめんなさい」と言えるだろうか。
自分の思いひとつでどうにかなることであっても、自分のこころのコントロールは難しい。
そこに相手が存在し、その間でおこった問題-憎しみ、いさかい、分裂、相互不理解-があるとき、その解決はより難しい。
問題が生じた相手を慰め、理解し、愛する・・・
私はまったく逆。まず相手から、慰められ、理解され、愛されたい。そうされたら、私もあなたを慰め、理解し、愛しましょう。
あくまで条件付きです。
ガサに住む人たちに学ばねばなりません。