世界一貧しい大統領からのメッセージ

2025年5月13日に死去されたウルグアイの元大統領ホセ・ムヒカ氏が語った伝説的なスピーチです。


マーケット経済、資本主義に毒された私たちが、無限の消費と発展を求める社会を作ってきました。

人類が作ったこのシステムを我々はコントロールしきれず、逆に、我々がこの消費社会にコントロールされています。

私たちは幸せになるために生まれてきたのです。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、

そして必要最低限の物を持つこと。

発展はこれらをもたらすべきです。


私たちの生活は、大量生産・大量消費の社会経済システムを確立して便利で快適になりました。

また近年の情報通信技術によるグローバル化は、世界を目覚ましく発展させました。

しかし、ムヒカ氏が言うように、こうした発展はかならずしも幸福や豊かさにつながっているとはいえません。

大量生産・大量消費の社会経済システムは、一方で大量廃棄社会を作り出しました。

ムヒカ氏は「本当の幸せとは何か」と問いかけます。

日本は第二次世界大戦後、貧困を乗り越え高度成長を成し遂げ、経済的、物質的に豊かになりました。

しかし、日本人は「幸せ」を実感できていません。

残酷な競争で成り立つ消費主義社会の中で、多くの人は疲れ切っています。

ムヒカ氏は言います。


人生で最も重要なことは勝つ事ではなく歩み続けることです。

世界がなぜ私に注目するのですか。

質素な暮らし、簡素な家、古い車に乗っているからですか。

それが驚きだというなら、この世界はおかしい。

なぜなら、それは本来、普通のことだからです。

私は貧乏ではありません。質素なだけです。

貧しい人というのは、ものを持っていない人のことではありません。

際限なくものを欲しがり永遠に満たされない人のことをいうのです。


ムヒカ氏の足跡を読むと心が洗われます。

「しかし」です。

経済的、物質的な豊かさを求めず、足るを知る質素な生活を求めることは難しいことです。

Walk Beside Me And Be My Friend

Walk Beside Me and be My Friend

立教大学入学式で総長が紹介した読売新聞の「窓」というコラムです。
大谷昭宏さん(ジャーナリスト)が書かれたものです。


女子高生のA子さんは足が悪くて普通に歩けません。
そんな彼女が水泳大会のクラス対抗リレーに選ばれます。
男女2人ずつ4人の選手を出して、一人が25m泳いで競争します。

クラスのいじめっ子が、「A子は3年間体育祭にも水泳大会にも出ていない。3年最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃない」と意地の悪いことを言ったからです。

A子さんは、お母さんに泣いて相談しました。
ところが、いつもはやさしいお母さんが、この日ばかりは違いました。

「お前は来年就職するんだろ。会社でお前ができない仕事を言われたら、お母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないでください』と言いに行くの?たまには、そこまで言われたら『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは今年は全校でビリよ』と、1回くらい言い返してきたらどうなの」とものすごく怒ります。

A子さんは泣きながら、25メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向って祈っていたのです。

水泳大会の日、水中を歩く泳げないA子さん。
まわりから、ワァワァと奇声や笑い声が聞こえてきます。
彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時です。
一人の男性が背広を着たままプールに飛び込みA子さんの横を一緒に歩き始めました。

それは、この高校の校長先生でした。

「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。はずかしいことじゃない。自分の足で歩きなさい」
一瞬にして、奇声や笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援しはじめました。

長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わったとき、友達も先生も、そして、いじめていた子たちもみんな泣いていました。

がんがつなぐ足し算の縁

がんがつなぐ足し算の縁

「いのちのセミナー」(JR西日本あんしん財団主催)『足し算で生きる』に行った。

ステージ4の悪性リンパ腫を克服したフリーアナウンサー笠井信輔さんの講演。

笠井さんの体験記『がんがつなぐ足し算の縁』を買って帰った。

笠井さんからのアドバイス

・がんを告知されたら、告知された病院に遠慮することなくセカンドオピニオンを求める。そして全国各地にある「がんの相談窓口」で何でも相談する。

・ネットの沼にはまらない。ネット情報には大きな落とし穴がある。ネットでがん情報を調べるならビジネスにつながっていないサイトがいい。例えば、「オンコロ」「キャンサーネットジャパン」「がん情報サービス」など。

・一概にがんといっても多くの種類がある。自分のがんのタイプについて一番わかっているのは主治医と医療チーム。その指示と判断を信じるのが一番。

・治療は標準治療でいい。先進医療や自由診療は効果的な場合もあるが、安全性の評価が定まっていない。健康被害が起きる可能性あり。ごく一部の人にしか効かないかもしれない。

標準治療は、治療法の「キング・オブ・キングス」

高額療養費制度

年収370万~770万の人が1カ月の治療費を100万支払った場合、窓口での支払いは30万になる。

しかし、高額療養費制度で、自己負担は9万以下。

21万が返金される。

30万の支払いがむずかしい場合、事前に健康保険組合や公的医療保険に「限度額定期用認定」を申請すればいい。

ただし標準治療が対象。

自由診療、先進医療は対象外。

【笠井流QOLの上げ方10か条】

1.好きなものを好きなだけ食べる

栄養のバランスは健康な人がやればいい。

2. 脱毛した時は、帽子でおしゃれ

3. 眉はぬける前に描く練習

4. リハビリを受けよう

5. 病室に無料WiFiを

6. がん保険に入っているか?

7. 看護師さんの名前を覚えよう

8. 痛みを我慢しない

9. がん相談支援センターを活用しよう

10.年中行事をしっかりやろう

教える者から忍ぶ者へ

教える者から忍ぶ者へ

歳を重ねて人から相談されることがあります。

「牧口さん、どう思いますか」
「牧口さんならどうしますか」

私は、いつも自分だったら・・・って考えます。
なので、聞かれたら、「私はこう思う」「私だったらこうする」と伝えます。

でも、話しているうちに自分の思いに固執している自分に気づくことがあります。
私の思いが相手に届いて、「ありがとうございました」と感謝されたりすると、相手にとってよかったとしても、自分が満足していることに気づくことがあります。

藤木正三先生は私のような人間に対して警鐘をならされています。
『福音はとどいていますか』(ヨルダン社、藤木正三・工藤信夫著)の中に次のような断想があります。

間違っておればそれを教えてあげるのが親切ですが、その場合相手の間違いに苛立ち、自分との違いに耐えられず、自分の考えに相手を従わせて満足しようとする心に走り易いものです。

しかし、教えることが本当に相手の為なら、そこ満足するのは相手であって自分であってはならない筈ですから、自分の満足を求めるような心がいささかでもあるなら、それはお節介だと自戒しましょう。お互い間違いながら生きているのです。いちいち間違いを取り上げて教えるよりは、それを忍ぶ者となるように自分をこそ教えたいものです。

『ガーン!』

しかしです。
世の中には、自分が与えたアドバイスや援助で人が立ち直ったことを自慢しまくっても、嫌味にならない人がいます。

表面上は全く謙虚さがない。自己肯定感100%。
自己満足感も100%だと感じる。
でも憎めない。彼のまわりは笑いが満ちている。

自分の考えを人に押しつけないようにはしたい。
アドバイスが本当に相手のためなら、
満足するのは相手だということを自覚していたい。

しかし、感謝されたら素直に喜んでもいたい。

Budde主教の説教

Budde主教の説教

みなさんはアメリカ大統領就任の公式行事である礼拝で聖公会主教の説教を聞かれましたか?

Budde主教は説教の中で、トランプ氏が根拠なく「凶悪犯罪者」と呼ぶ移民について、「彼らは米国市民ではないかもしれないが、税金を納める良き隣人だ。圧倒的多数は犯罪者ではない」と指摘しました。

トランプ大統領だけでなくキリスト教教職者の中でも、批判、賞賛、両方あります。

<Budde主教の説教要旨>

大統領閣下、最後に懇願いたします。
何百万もの人々があなたを信頼しています。

そして、昨日、あなたが国民に語られたように、あなたは愛に満ちあふれた神の摂理を感じておられるはずです。私たちは神の名において、いま、恐怖を感じている自国の国民に慈愛を施してくださるようにお願いいたします。

民主党、共和党、無所属を問わず、家庭には、ゲイ、レズビアン、トランスジェンダの子供がたちがいます。中には命の危険すら感じている子どもたちもいます。
私たちの農作物を収穫し、オフィスビルを清掃し、養鶏場や食肉加工場で働き、レストランで私たちが食事をした後の皿を洗い、病院で夜勤をこなす人々の中には、市民権を持たないか、あるいは適切な書類を所持していない人々がいるかもしれません。

しかし、移民の大多数は犯罪者ではありません。
彼らは税金を支払い、良き隣人でもあります。
彼らは私たちの教会やモスク、シナゴグ、グルトワーク、寺院の忠実な信徒でもあります。

大統領閣下、どうか私たちのコミュニティーで、親が連れ去られるのではないかと恐れている子どもたちに対して慈愛の心をもってください。
そして自国での迫害から逃れてきた人々に対して、この国で、思いやりと歓迎の意を見いだせるように支えてください。

私たちの神は私たちがよそ者に慈しみをむけるべきであると教えています。
なぜなら、かって、私たちは皆、この土地ではよそ者であったからです。
神がわたしたちにすべての人間の尊厳を尊重し、愛をもって、互いに真実を語り、神と共に謙遜に歩む強さと勇気をお与えくださるように。
すべての人々のために。アーメン

一患者の祈り

一患者の祈り

ニューヨークにあるリハビリセンターの壁に書かれている一患者の祈りは有名です。
どなたが訳されたのかわかりませんが、素晴らしい詩になっています。
私はこの詩を大切にしています。

大事を成そうとして 力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く従順であるように  弱さを授かった。

偉大なことができるようにと  健康を求めたのに
より良きことができるようにと  病弱を与えられた。

幸せになろうとして  富を求めたのに
賢明であるようにと  貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして  権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと  弱さを授かった。

人生を楽しもうと  あらゆることを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと  生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた。

神の意に沿わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは  すべてかなえられた。

わたしはあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ。

今、75年の歩みを振り返っています。
成功、健康、富、賞賛、楽しみ。
私なりに求めていました。
それらを得るための努力もしました。
燃えるような情熱を持って求めなかったので、得たものも小さなものでした。

失敗なんてしたくない。
非難を受けたくなんかない。
病気にもなりたくない。

それにも拘わらず、神さまは、タイミング良く、謙虚であるようにと、失敗、非難、苦痛、時に病いを与えてくれました。

もし私が順風満帆に成功し、驚くようなお金持ちになっていたら、考えただけで恐ろしくなります。
きっと傲慢な人間になっていたでしょう。

これで良かったって振り返っています

タレントを生かして

Making your talent

「そのセーター素敵ですね」

「今日のお話良かったですよ」

あなたは何と返しますか?

「そうですか・・・」

「そんなことないですよ」

否定的に返答していませんか?

「どうして肯定的に受け止めないのですか」

ある方から指摘を受けました。

「せめて、ありがとうございます、でしょ。でないと、私が冷やかしていることになりますよ」

単なる照れ隠しではなく、そんなに素敵だとも話が良かったとも思っていないことも事実です。

しかし全くダメと思っていることもない。

あんまり考えず、癖で「そんなことはない」と繰り返しています。

繰り返しているうちに、自分で自分をダメにしているようです。知らず知らず成長を妨げているようです。この癖は謙虚さではありません。

このジャケットとスラックスは結構いけていると思い選んでいます。自分で合わないと思う組み合わせはしません。セーターとの組み合わせも同じです。

人前でお話しするとき、どうでもいい話はしません。それなりに考えて、その場にふさわしい話をしようと努力します。

結果は別です。話のうまい人はたくさんいます。

人に褒められたら、素直に「ありがとう」

誉めてくれた人も、伝えて良かったって思います。

誉められたら嬉しい。嬉しいからより上手く、よりセンスがいいように努力します。

そこには成長があります。自信も生まれます。

成長こそすべてと思いません。自信を持つことはいいけど、自信を失うことがあってもいい。

せっかく生まれてきたのだから、与えられたタレントを生かす努力は必要だと認識させられました。

命のための命

Life for Life

-ライフラインの集いより-

ある村に双子の兄弟がいました。顔はそっくり瓜二つ。でも性格は全然違っていました。

兄のセバスチャンは優しく働き者。村の人みんながセバスチャンを褒め称えていました。

弟ルイスはまったく逆。怠け者。おこりんぼう。酒ばかり飲んで酔っ払っている。

ある日、弟は血相を変えて兄の前に現れます。

「お兄ちゃん、どうしよう。オレ、殺す気なんてなかったんだよ」血だらけのシャツに血だらけのナイフを持ったルイス。

「ルイス、その服を脱げ!オレの服を着ろ!山に逃げろ!帰ってくるな!」セバスチャンは叫びました。

何日、何カ月、何年、隠れていたのか分かりません。

「オレ、なんてことをしたんだろう」

「オレ、どうしたらいいんだろう」

思い出すのは、セバスチャンの優しさだけでした。

「アイツだけだった。いつもオレの味方してくれた。いつもかばってくれた」

「会いたい。会いたい。セバスチャンに会いたい」

ルイスは村に帰っていきました。

酒場のドアを開け、客に声を掛けました。

「昔、この辺で殺人事件がありませんでしたか?」

「あったよ。そりゃぁ悲惨だったぜ」

「犯人はどうなったのですか?」

「あいつバカだよ。血だらけのシャツを着て、血だらけのナイフを持って、ボーッて突っ立てたんだ。すぐ捕まったよ」

「それでどうなったんですか?」

「死刑!」

「死刑・・・」ルイスは耐えられず店を出ました。

「ボクがセバスチャンを殺したんだ」

ルイスは村長さんの家に行きました。

「村長さん、ボクです。ボクが殺したんです。ボクが犯人です。死刑になったのは\ボクの兄です」

「終わったんだよ。そこにあるのは犯人のカバンだ。弟なら持って帰ってくれ」

ルイスは家に帰ってカバンを開けました。

中に一通の手紙が入っていました。

愛するルイスへ

今日、ボクはキミの血に染まったシャツを着て死刑台に行きます。もし、この手紙を読むことがあったら、キミはボクの真っ白なシャツを着てほしい。そして、生きてほしい。

何回も、何回も、ルイスは読みました。

涙で文字が見えなくなりました。

セバスチャンはイエス・キリスト。ルイスは私たちのことです。

私たちが神を愛したのではなく、神さまが私たちを愛してくれているのです。

しあわせな老後

「昨年の12月から歩けなくなったんだよ」

 大学を出て就職した会社の同期生。彼は関東に住んでいるので会うことはない。時々、電話で話をするだけだ。
そんな彼が歩けないので自宅でゴロゴロしている。
病院に行く時はタクシーを使っている。

彼だけではない。幼馴染の友人も、脳梗塞、心疾患、がん、と三大疾病を総ナメ。障がい者認定を受けている。
後期高齢者になったからではなく、当たり前に歳を取って、身体機能の衰えを感じざるを得ない。

今年、緑内障の手術をした。
現状維持の手術なので良く見えるようにはならない。
階段の下り、夜道は見えにくいまま。
会合に参加しても参加者の顔がわからない。

それでもまだ走れる。
1時間10kmを週2回続けている。
週に2,3回は会社に行き仕事をさせてもらっている。
頼まれるままに引き受けた役職もいくつかあり、充実した老後に感謝している。

同じ年齢にもかかわらず、驚異的に元気な友人がいる。
毎朝、ジムで泳ぎ、自らを奮い立たせる格言を大声で唱え、仕事も現役。
時に、滝に打たれ、廃寺復興、限界集落問題にも取り組んでいる。

「お金は持って死ねない」と言い放ち、社会課題に取り組む人たちを支援。
財団法人を立ち上げ、彼らの話を多くの人に聞いてもらう活動もしている。

人それぞれは分かっている。
彼の真似をしようとは思わない。

それでも・・・。

このまま終わるのは寂しい気がするのは傲慢だろうか。

日本人とポーランド人の心温まる話

日本人とポーランド人

「我々は祖国から離れ離れになり、未だ何の助けも得られません。このまま冬が来ると、子供たちの命が奪われます。子供達の命を救ってください。」

1918年11月、第一次世界大戦が終わり、ポーランドは再び独立宣言をしました。しかしシベリアに拘留されていた人たちは帰国できませんでした。ポーランド政府は世界に訴えましたが、いずれの国も、ポーランドを助けませんでした。弾圧や飢餓で、シベリア難民が続出します。

そこで、せめて子供達だけでも何とか助けようと、ポーランドの若者が救済委員会を作り、日本に頼み込みました。日本は約2週間で閣議決定。日本赤十字社が現地に向かいました。2年間に765人の子供達を日本に送り届けたのです。

やがて元気になった子供達をポーランドへ順次、送り返しました。

それから80年。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた時に、ポーランドは復興支援に協力したのです。最も痛手を受けた被災地の子供達を、ポーランドに招きました。中心になったのは、大正時代に、日本に助けられたポーランドの子供達、今は高齢者になった方々でした。

2002年7月、天皇皇后両陛下がポーランドを訪問。この時、高齢になった3人が、どうしてもお会いしたいということで、両陛下との対面が実現しました。このお年寄りも、大正時代の日本人に助けられた、当時の孤児の方達です。

80代のアントニナ・リーロさんは、美智子皇后の手をずっと握って離そうとされませんでした。実は、日本で助けられた時、病院に大正天皇の后、当時の皇后がお見舞いに来られ、小さかった彼女を抱いて励ましてくださったのをかすかに覚えていたのです。その時の感動と感謝の念に、自分はようやく80余年の年月を超えて、日本の皇室に感謝の言葉を伝えながら、美智子皇后の手をずっと握りしめていたのです。