日本人とポーランド人の心温まる話

日本人とポーランド人

「我々は祖国から離れ離れになり、未だ何の助けも得られません。このまま冬が来ると、子供たちの命が奪われます。子供達の命を救ってください。」

1918年11月、第一次世界大戦が終わり、ポーランドは再び独立宣言をしました。しかしシベリアに拘留されていた人たちは帰国できませんでした。ポーランド政府は世界に訴えましたが、いずれの国も、ポーランドを助けませんでした。弾圧や飢餓で、シベリア難民が続出します。

そこで、せめて子供達だけでも何とか助けようと、ポーランドの若者が救済委員会を作り、日本に頼み込みました。日本は約2週間で閣議決定。日本赤十字社が現地に向かいました。2年間に765人の子供達を日本に送り届けたのです。

やがて元気になった子供達をポーランドへ順次、送り返しました。

それから80年。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きた時に、ポーランドは復興支援に協力したのです。最も痛手を受けた被災地の子供達を、ポーランドに招きました。中心になったのは、大正時代に、日本に助けられたポーランドの子供達、今は高齢者になった方々でした。

2002年7月、天皇皇后両陛下がポーランドを訪問。この時、高齢になった3人が、どうしてもお会いしたいということで、両陛下との対面が実現しました。このお年寄りも、大正時代の日本人に助けられた、当時の孤児の方達です。

80代のアントニナ・リーロさんは、美智子皇后の手をずっと握って離そうとされませんでした。実は、日本で助けられた時、病院に大正天皇の后、当時の皇后がお見舞いに来られ、小さかった彼女を抱いて励ましてくださったのをかすかに覚えていたのです。その時の感動と感謝の念に、自分はようやく80余年の年月を超えて、日本の皇室に感謝の言葉を伝えながら、美智子皇后の手をずっと握りしめていたのです。