76歳になって、人生の道のりを静かに振り返ることが増えました。
緑内障で目が不自由になり、自転車に乗ることをやめました。
それでも、週2回はジムに通い10km以上走っています。
仕事も続けています。
加えて、いくつかの団体に関わり、微力ながらも社会の一隅を照らす働きに身を置いています。
人生100歳の最終コーナー、私は坂道を穏やかに下っています。
急ぐことなく、時に立ち止まってもいい。
与えられた一日一日を丁寧に歩みたい。
そして、自分のためではなく、誰かのためにできることを積み重ねていきたい。
私の歩みを支えてきたのは、いくつかの祈りと言葉です。
「主よ、私はあなたを知り、またあなたの愛を知っています」と認めながらも、私は幾度となく言い訳をし、神の招きから逃げ、自己満足の中に安住してきたことでしょう。
しかし、その弱さを知ってなお、なおも招き続けてくださる神の愛があることを、私は信じて生きてきたように思えるのです。
富まず貧しからず、必要なものを与えられればよいとする慎ましさ。
自分の知恵に頼るのではなく、神の導きを信じて歩む心。
変えられないものを受け入れる落ち着きと、変えられるものに立ち向かう勇気、そしてそれを見分ける智恵。
それらは今も私の道しるべであり続けています。
人生のある時、砂浜に残された足跡の詩に出会いました。
神と共に歩んだ二人の足跡。
でも、最も苦しかった時、足跡が一つしかありません。
「なぜですか」と神に問う作者に、
「私はあなたを背負って歩いていたのだよ」と語りかける神の言葉。
その静かな慰めは、
私に「委ねて生きる」ことの大切さを教えてくれました。
気づかなかっただけで、
私は幾度も神に支えられ、神に守られてきたのです。
これからの道は、
「静かに、しかし確かに歩みながら、
誰かの重荷を少しでも軽くし、
誰かの心に小さな光を灯せる人生でありたい」と願っています。

