生と死

1994年から、私は随想を書いてきた。
2002年からは月に一度、「MAKI通信」という小さな広報誌を発行し、そこに言葉を置いてきた。
保存している文章すべてを読み返したわけではない。
それでも、「生」「死」「いのち」「こころ」という言葉が、繰り返し私の前に現れる。
意識して選んではいない。私自身が、その問いの中を生きてきたのだと思う。

「生」と「死」は、向かい合う二つの岸のようでいて、実は同じ流れの中にある。

私は「いのち」「こころ」という言葉が好きだ。
形はないが温もりを感じる。人と人とを結び、またほどいていく。

後期高齢者となり、人生は最終コーナー。
振り返れば、無数の“ご縁”が重なり合い、ここまで導かれてきた。

私はそれらを長く「偶然」と呼んできた。
しかし、もし神さまが存在するのなら、出会い、別れ、喜び、悲しみ、すべての事象は目には見えない神によって用意された学びであり、恵みであったのではないか・・・
自分で選び、決め、歩いてきたつもりの人生も、実は大きな手のひらの上で、そっと方向づけられていたのかもしれない。

「委ねる」とは、人生を放棄するものではない。投げ出すことでも、考えることをやめることでもない。
自分の理解を越えた出来事に出会ったとき、それを無理に捌かず、意味づけしようともせず、ただ神さまの前に差し出すことだと思う。

善意で為したことが相手に届かなかったとき、善意であればあるほど心は傷つく。自分の正しさを主張したくなる。このような時こそ自分の気持ちを手放し、神さまに委ねて生きたい。

今日一日、私らしく生きることができますように。
残された時間を数えるより、一日一日を”軽やかに”歩むことができますように。
速さではなく、深さを選びながら。
そして、一日を、感謝のうちに終えることができますように。

私の存在が、誰かの心に小さな灯をともすことができたなら、それで十分だ。
生きるとは、与えられたいのちに感謝し、こころを通わせ、神さまに委ねながら、静かに次の世代へと手渡していく営みなのだろう。

私は今日も、その流れの中を歩いていく。