老いを受け入れる

身体障害者手帳が交付されました。

緑内障による視野欠損、視力低下が進み、あまり知らないところへ一人で行くのは困難になりました。
今までひとりで行けた海外旅行も息子夫婦についてきてもらいました。

先日、ある方から「私たちの持っているものは皆、神さまからの預かりものですよ」という話を聞き、心が安らぎました。

私たちが持っているものは、
すべて神さまから与えられた「神さまからの預かりもの」だと言われます。

健康な体、
考える力、
記憶力、
人との出会い、
趣味を楽しむ力・・・

すべてのものは自分の努力で得たものではなく、
神さまが人生の歩みの中で与えてくださった「預かりもの」。

老いによって少しずつ失われていくのは、単なる喪失ではない。
その預かっていたものを、一つひとつお返ししていくのだ。

もちろん、実際には簡単なことではありません。
できなくなったことを受け入れるのはつらいものがあります。

私は目に障害はありますが、まだ走ることのできる脚力があります。
楽譜は見えづらくなりましたが、指で音を探ってピアノを弾くこともできます。
以前のようにはできません。
しかし、まだできることがあります。

歩くことができるなら歩けばよい。
誰かと語り合えるなら語り合えばよい。
ピアノが弾けるなら弾けばよい。

神さまは私たちから何かを取り上げるために老いを与えるのではない。
人生を振り返り、感謝を学ぶ機会を与えてくださっている。
そう思えてきました。

やがて私たちは、
健康も体力も、
知識も経験も、
この地上で与えられたすべてのものを神さまにお返しする日を迎えます。

その日が来るまで、不平や嘆きではなく、
「ありがとうございます」と言いながら、
すべてのものを返していけたらと願い祈っています。

老いを受け入れるとは、
人生をあきらめることではありません。
神さまから与えられた預かりものを感謝して用い、その預かりものをひとつずつ神さまにお返ししながら歩むことです。
失うことを嘆くのではなく、与えられてきた恵みに感謝しながら生きることです。

そのような心でこれからの人生を過ごすことができるなら、私たちは「高齢者」ではなく、「幸齢者」になれるのではないでしょうか。