「主は羊飼い、死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。」
詩編23編のこの言葉は、多くの人に親しまれている箇所です。
私は月に一度、「聖書と私」という聖書研究会に参加しています。
3月に取り上げられたのは、この詩編23編でした。
有名な箇所でもあり、暗唱している方もおられ、参加者は自由に思いを語り合いました。
その中で、あるご婦人の証が、私の心に深く残りました。
彼女はいつも穏やかな笑顔を絶やさず、苦難など微塵も感じさせない方です。
教会の活動として、路上生活者への炊き出しや生活用品の配付にも長く関わってこられました。
しかし、彼女の人生は決して平坦ではありませんでした。
60歳を過ぎた頃、ご主人の会社が連鎖倒産に巻き込まれ、すべてを失います。
路上でのテント生活さえ覚悟するほどの状況の中、何とかワンルームの住まいを得ることができました。
自己破産の手続きに必要な弁護士費用すら用意できず、友人の支えによって乗り越えられたといいます。
さらに追い打ちをかけるように、ご主人はがんを宣告され、余命はわずか4か月と告げられました。
まさに「死の陰の谷」を歩むような日々。
そのただ中で、彼女はこの詩編の言葉に支えられたと語ります。
「どうしよう」「これからどうなるのか」という不安は湧かなかった。
ただ、「あなたがわたしと共にいてくださる」という言葉を信じ、「神さまはいつも共にいてくださるのだから大丈夫」と思えたのだそうです。
苦難が過ぎ去った後にそう語るのなら、まだ理解できます。
しかし彼女は、すべてが崩れかけているその渦中にあって、なお静かに神を信頼していました。
そこには、必死に耐え抜こうとする力みはなく、ただ委ねるという姿勢がありました。
債務が消えるわけでもない。
奇跡的に状況が好転するわけでもない。
病が癒える保証もない。
それでもなお、「神さまに任せておけば大丈夫」と言い切るその信仰に、私は圧倒されました。
この証を通して、私は自分自身の信仰のあり方を問われたように感じました。
果たして私は、同じ状況に置かれたとき、これほどまでに静かに、そして揺るぎなく神に信頼を置くことができるだろうかと。
詩編の言葉は、単なる慰めの言葉ではなく、現実の苦難の中でこそ生きる言葉なのだと、彼女の姿を通して教えられた思いがします。

